今日はボディメイクとは違った話。
このブログでは、再三登場しますが僕は今も社会人リーグで現役のアメリカンフットボール選手としてプレーしています。
アメリカンフットボールというスポーツに出会ってから僕の人生はガラッと変わりました。
小さい時はラグビーに夢中
今注目を浴びているラグビーですね。
昨年のワールドカップ。本当に素晴らしかったです。
国民をあれだけ興奮の渦に巻き込む事のできるジャパンの皆さん尊敬します。
また、今までラグビーの普及に努めてきた先人のラグビー関係者やラガーマンの皆さんの努力や苦労が形となった事が本当に嬉しいです。
惜しくも亡くなった平尾誠二さんはこの活躍をどう感じるのでしょうか。
感動をありがとうと心から思います。
僕が小学生の時、同年代の子たちはラグビーのらの字も口にしないような時代でした。
今では小学生がラグビーの真似事や日本代表の話なんかもしている姿も見かけます。
小学生がラグビースクールに通ったり、地元のラグビーチームに入ったり珍しくありません。
僕の時代では考えられない事です。
嬉しい反面、悔しい気持ちもありますね笑
そんな僕は、時代的にも地域的にも珍しく小学生の頃からラグビーに夢中な子供でした。
中でも同志社大学のファンで、あの紺色のボーダージャージーを着る事が目標でした。
それもこれも全部オトンの影響でした。
僕の地元では全くラグビーなど浸透してなく、当たり前のように中学校でもラグビー部なんてものはありません。
ラグビーをするには高校でするしかありませんでした。
めっちゃめちゃ勉強して親から許された高校に入学してやっとラグビーができることがとても嬉しかった事を覚えています。
五郎丸選手やリーチマイケル選手など当時からラグビーをしているものからするととても有名でした。
僕の高校はそれほど強くなかったので花園へ行くことはできませんでしたが
僕自身はセブンスの代表になりセブンスの全国大会に出場する事が出来ました。
その大会で外国人の選手と対戦した際に「これは、きっとこの先も勝てないな、、」と勝手に諦めていました。
かっこ悪いですよね。
数年前に格上の南アフリカ相手に諦めず勝利をつかんだ日本代表の皆さんは本当にすごいと思います。
アメフトとの出会い
元々同志社大学でラグビーがしたかった僕ですがラグビーはすでにもういいやと思っていました。
そんな時です。
テレビでスーパーボウルの中継をみたのです。
スーパーボウルとは、NFLというアメフトの最高峰リーグの最終決戦の事です。
その年の西地区の上位何チームと東地区の上位何チームかがプレーオフを行い、そのトーナメントの最終戦がスーパーボウルとなります。(厳密にいうともっと細かいシステムだが、ここではざっくりと書きました。)
興味の持った方はぜひ今年のスーパーボウル、見てみてください!!
そのスーパーボウルの試合が僕のスポーツ人生を大きくかえました。
プレーヤーのスピード、バワー、頭脳、作戦。
プレーヤーだけでなく、コーチもピックアップされヘッドコーチなどはプレーヤーと同じくらい注目され、中継ではプレーを分析しながら視聴者と共有するシステム。
そして、観客席の興奮。
アメリカ国民にとってスーパーボウルはとても特別な意味を持っていて単なるスポーツの祭典ではありません。
その国を挙げて取り組む文化や国民の熱狂に心打たれました。
そして、何よりフットボーラーがカッコいい!!
すぐ虜になりました。
大学では、アメフトをしよう。そう思ったのです。
プレーヤーとしてコーチとして
大学時代のアメフト生活が僕の人生にとって最も意味のあるものとなりました。
今まで経験した事のほとんどが霞んでしまうほど濃密な時間を過ごしました。
また、毎日生活を共にし、死線をくぐり抜けてきた仲間たちは一生の友となりました。
僕に彼ら以上の友はいません。
そんな大学時代の話は、また別の機会に、、、
話はとびますがこの2年間指導者、コーチとして活動させていただく事がありまして
その難しさや厳しさを知りました。
昨年。初めてコーチとしてチームを指導し、プレーヤーとは違うしんどさを味わいました。
- 自らフィールドに立てないもどかしさ。
- ゲームがビハインドになっても自らの手では何もできない虚しさ。
- 思い通りにゲームを進められない苛立ち。
など。
自分達をコーチングしてくれた方々はこんな思いをしていたんだなと痛感しました。
それでも、ある程度の結果は出す事ができて、周りから期待されるようになりました。
嬉しい反面、僕自身その分のプレッシャーがかかります。
「今年も勝たなくては、、」「結果を出さなくては、、」
そんな中での今シーズン。
ずっと、心臓がバクバクしておりました。笑
結果的に昨年を上回ることはできませんでした。
何より、彼らを新たなステージへ連れて行けなかったこと。
勝たせてあげられなかったこと。
とても、悔しい。
彼らは本当にここまでよくやってくれました。
僕の事を信じてついてきてくれ、僕の言う通りにやれば勝てる!と信じて疑わず、
数少ない練習でよくここまでやってきてくれました。
勝てなかったのは、全て僕の責任だと思います。
勝たせてやれなかった、、、、
それでも、彼らの最期の涙を見て
「こんな僕でも何か心に伝えられた事があったのかもしれない。」と思いました。
僕は、この2年で今までプレーヤーとして知ることのできなかった事を経験できました。
これから先どういった人生になるかわかりませんがきっと自分の糧となることと思います。
本当にありがとう。
僕は彼らからいろんなものをもらう事が出来ました。
僕は何か彼らに贈ることができたのだろうか、、、
今日は、ボディメイクと全く関係ない話でした。
こんな関係のない話も時々投稿していくのでよろしくお願いします。
では、
Check